トップページ > イースター島観光案内 <イースター島終日観光/ランチBOX付き>
うつ伏せに倒れた8体のモアイ像がある。1750年前後に始まったモアイ倒し戦争(フリモアイ)の激戦区と推測される。アフの下から多くの人骨が発見されたことから、かつては大きな村があったといわれている。発掘調査や補修工事等は行われておらず、複元の予定はない。 バイフとアカハンガの間の海岸には倒れたモアイ像が点在している。
3つのアフがあり、やはりすべてのモアイ像が乱雑に倒されている。3つのうち一番大きいアフは、イースター島初代の伝説の王・ホツマツアの墓といわれている。ボートを逆さにした形状のためボートハウスとも呼ばれる住居跡が見られ、全盛期には3,000人程が住んでいた村があったといわれている。
イースター島観光のハイライト。モアイを岩肌から切り出して製造していたモアイの製造工場。現在でも約400体のモアイがラノララクの山の斜面に放置されたまま土に埋もれている。タヒチのティキ像に似た正座するモアイ「トゥクトリ」や高さ約21mの未完成の最大のモアイなどもみられる。 ラノララクの斜面には「モアイの道」と呼ばれるモアイの運搬路の跡があり、 ここで製造(切り出された)されたモアイは海岸沿いにあるアフまで何十㎞もの道のりを運ばれたとされている。巨大で重いモアイ像をどうやって運んだかは様々な説が唱えられているが、未だに謎だ。 ラノララク山にも火口湖があり、湖面への斜面にもたくさんのモアイがある。
イースター島最大のアフに海を背にして復元された15体のモアイ像が立つ。元々モアイ倒し戦争で倒れていたモアイが、1960年のチリ沖大地震による津波の影響で、破壊されたり内陸部に流されたりと壊滅的なダメージを受けた。日本のクレーン会社等の援助・協力などで、1992-1995年にかけて時間をかけて丁寧に修復、複元された。少し離れた丘の上に立つ1体のモアイ像は1982年に約半年間日本で展示されたことがある。32体ものモアイが見つかっていることから、かつてイースター島で最も大きな村があったと推測される。
うつ伏せに倒された1体のモアイ像「モアイ・パロ」がある。プカオ(モアイの上にのせる赤みがかったまげのようなもの)を含めると全長約12mで重さは80~100トン(推定)もある。完成してアフにのせられたモアイでは最大のもの。また、このモアイ像はオリジナルで最後まで立っていたといわれている。 海岸沿いには直径約75㎝の球形の石があり、テ・ピト・オ・テ・ヘヌア(世界のヘソの意)と呼ばれている。この石は、何らかの宗教儀式に用いられたと推測され、磁気を帯びている。
伝説の王・ホツマツアが上陸した地といわれているアナケナビーチ。イースター島では数少ない美しい白砂のビーチで、ハイシーズンには海水浴客で賑わう。タヒチから運ばれたヤシの木が植えられており、風が強く荒涼とした景色が多いイースター島の中では珍しく、トロピカルな雰囲気だ。 そのビーチのすぐ後方に立つアフ・ナウナウは、1978年に復元されたもの。 倒されたモアイは砂に埋もれていたために保存状態が良く、モアイに刻まれた彫刻が細部まで見ることができる。博物館に展示されている「モアイの眼」はここで発見された。 近くの丘に立つもう1体のモアイ像は、1956年にイースター島で最初に修復され立てられたもの。伝説の王・ホツマツアの像といわれている。